2011年5月1日日曜日

2011/05 – 4月の活動報告と5月の抱負


想定するということ
4月11日、東北地方太平洋沖地震から1か月が経った。
テレビで、この地震による多くの犠牲者の情報が流されると、自然と涙が出てくる。
なぜ、このような事態が起きてしまったのか。
自然災害だから人間にはどうすることもできなかったのかもしれない。
「想定外」という言葉をよく聞く。
今回の地震による津波の高さが、30メートルを超えるものであったという報道も聞く。
福島第一原発事故に関しては、チェルノブイリ原発事故に並ぶレベル7とされた。
「想定」するとはどういうことか?
様々な知見から考えられることを洗い出す。
「様々な知見」を与えるのは、教育をする側である。
学校教育では、多くの教科・科目ごとに、たくさんの知識を与える。
それだけで終わってしまってはナンセンスとなってしまう。
知識を得たことにより、気づき、行動につなげることが求められる。
気づくことは、個々人によって気づき方・感じ方が異なるかもしれない。
学校教育は多くの生徒が集まっている成立している。
多様な気づき方・感じ方を共有し、「想像」「創造」することが可能である。
まさにそうした「共有」し、「想像」「創造」することが「想定」のプロセスとして位置づけられると思う。
「想定」するということを学校教育で扱うためには、児童・生徒が知識を獲得し、気づき、考えるという一連の流れが必要になってくる。
教師は、それを十分に意識した授業作り・授業展開をしなければならないと強く感じている。

平成23年度実施神奈川県公立学校教員採用候補者選考試験
4月18日付けで、神奈川県教育委員会ホームページに標記に関する実施要項が公開された。第一次試験実施日は、以前に公表されていた通り7月3日(日)。
気になっていた高等学校情報科の募集人数であるが、昨年度同様10名程度とされた。
昨年度に引き続き、多くの採用が見込まれているので、合格だけを考え、勉強を継続していきたい。

教員採用試験準備講座
【4月2日(土)】
3月の震災以降休講となっていた講座がこの日再開された。
はじめに、4月から教師として一歩を踏み出した講座出身の先輩方のお話を聴く。
「教師になった実感はいまいち湧かない」という。
学生から社会人へ、その気持ちはどのようなものなのだろうか。
来年の今ごろ、自分は何をしているのかと不安と期待でいっぱいになった。
その後、論作文の基本型について学ぶ。
基本型について学んだ後、「わかる授業」について実際に論作文を書いてみる。

【4月9日(土)】
前回に引き続き、論作文を書く。
前回提出した論作文を添削してもらったため、それをもとに同じテーマで論作文を再度書くという作業をする。

【4月16日(土)】
前半は、論作文の講義。学校・家庭・地域との連携に関する論作文の書き方について学ぶ。
後半は、横浜市立中学校の先生でこの講座のOBでもある先生をお迎えして、講演を聴く。
「聴く」というよりは、先生の授業を受けているかのような錯覚に陥るような聴衆参加型の講演であった。
この講演で得たことは、授業は「動」と「静」の繰り返しで生徒を飽きさせないようにすることが必要であることである。
単調な授業では生徒は当然飽きる。
そのための教材研究は大変重要である。

【4月23日(土)】
他の学生が書いた論作文を読むことで自分のものとする。
教育実習事前指導(後述)に出席しなければいけないため、途中退出する。

【4月30日(土)】
前半は、「学習意欲を高める」「安全教育」「学校・保護者・地域の連携」「個に応じた指導」のそれぞれの論作文の書き方について。
後半は、道徳教育・道徳の時間について講演をしていただく。
「道徳」の時間の実践として、『たったひとつのたからもの』を用いて、「いのち」について考える道徳の授業を披露していただく。
今自分の「いのち」があることは父母がいるから、父母があるのは祖父母がいるから・・・というように自分が今ここに生きているのは当たり前ではないということを感じさせる授業。
3月11日の大震災以降、当たり前のことが当たり前ではないということを十分感じているが、そのような震災が起こらなくとも「いのち」や「生きる」ことについて考えさせることが「道徳教育」なのであるという。
高等学校では、道徳の時間は設けられていないが、道徳教育は学校の教育課程全体を通して行うものである。
高等学校の生徒にも、このようなことを考える必要はあるだろう。
そのための題材も考える必要があると感じた。

《気づき》教育実践研究会
4月25日(月)、中央大学駿河台記念館にて、標記の研究会が行われた。
この研究会には、教職課程を履修している友人の紹介で昨年12月に初めて参加させていただいた。
それ以降、地震の影響もあり参加できずにいて、今回で2回目の参加である。
東京大学名誉教授の大井玄先生をお迎えしての講演があった。
テーマは、「道徳主体としての認知症老人」。
認知症老人は、自分の意向・意志を自分の言葉で表示することができない。
“言葉“で表示できなければ、その人の意志はないものとして見なされるのか。
意志は“言葉”のみによって語られるわけではない。
“行動”も語るという。
今までに経験・記憶してきたことが、行動となって現れるという。
だとすれば、“言葉”を発することができない認知症老人の細かな意思表示を大切にしなければならない。

苦しくても長生きさせるべきか、楽に死なせるべきか・・・
“言葉”による意思表示ができない場合、その家族が生死の選択をすることが多い。
長生きすることが本当に良いことなのだろうか?
(自殺を助長しているわけではない。)
本当に大切なことは、患者さんの“意思”を尊重すること。
当たり前のことのように思えるが、忘れがちのことかもしれない。

教育実習事前指導~教科別講義~
教育実習の事前指導として、「教科別講義(授業論)」に出席することが義務づけられている。
英語での教育実習を予定している私は、4月23日(土)、英語の教科別講義に出席した。
教科別講義は、明治大学付属校の先生を講師としてお招きして、90分行われた。
内容は、教材研究に関わることがメインであった。
いかにして、生徒のやる気を引き出すか。
教科書の英文をただ読んでいるだけでは不十分である。
楽しく学習することができる教材を自ら見つけ出し、実践してみる姿勢がまず必要である。
教育実習に向けて、事前にいくつか教材を探してみたい。

情報セキュリティ認定試験
4月24日(日)、東京大学駒場Iキャンパスにて、財団法人全日本情報学習振興協会による「情報セキュリティ認定試験」が開催された。
昨年度まで「情報セキュリティ検定試験」として行われていたものが改称され、これまで1~3級の階級で試験が行われていた。
この度、3級→「情報セキュリティ初級認定試験」、1・2級→「情報セキュリティ保護士認定試験」として新たな試験が始まった。
私は、一般従業員・ユーザレベルの情報セキュリティに関する基本を理解していることを試す「情報セキュリティ初級認定試験」を受験した。
試験会場・教室に入ると、社会人の方が多かったのが印象に残っている。
中には、団体申込で受験されていた社会人の方もいた。
学生はむしろ少数派であった。
「情報セキュリティ」は教科「情報」で扱う内容であると同時に、社会・企業においても重要である。
企業では、個人情報をはじめ、さまざまな媒体による多くの「情報」を扱うことになる。
それらの「情報」をどのように扱い管理するか、脅威からどのように保護するのかということを考えなければならない。
今日の社会では、インターネットがグローバルに普及し、情報の漏洩が大規模な問題となることも多い。
最近では、ソニーのプレイステーションネットワークの問題が大きく取り上げられている。
授業では、最新の時事等から情報セキュリティ問題の脅威について取り上げ、それらの対策について扱うことが可能だろう。

前期授業は明日から
震災の影響で春休みが延びたため、4月は丸々春休みであった。
そして、いよいよ2011年度前期授業開始が明日に迫った。
4月後半から授業開始に向けた、シラバス・時間割配布、履修説明等が行われた。
履修登録はまだであるが、受講者制限のある科目等の事前履修申請は済んでいる。
現時点までに履修が確定している科目は、
【情報メディアの活用】(前期)
教職課程の選択科目、司書教諭課程の必修科目となっている。
【総合演習】(後期)
教職課程の必修科目となっている。
【コンピュータグラフィックス】(後期)
学部科目(情報メディア教育科目)。高等学校教諭一種「情報」免許取得のための選択科目の一つである。
主に、POV-Rayを使用しての作品制作を行う。

5月の抱負
教員採用試験第一次試験まで、2か月。
毎月毎月言っていることであるが、本当に早い。
今できることは何だろうか・・・
過去問を解いてみて明らかになった自分の苦手分野を出来る限り克服することだろうか。
一般教養では、政治・経済が最大の苦手分野であると自覚している。
一般教養は試験のためであるという認識を捨て、自らの教養を高めるためのもの、また、実際に教師になったときに生徒に様々な視点から接することができるようにするための素材作りであると思っている。
専門教養は、実際に「情報」の先生になったら否が応でも扱わなければならない範囲である。
自分が未知である領域を中心に、授業の予習のつもりで学習していく。
教員採用試験が間近に迫っている事実を消し去ることはできないが、自分の学習への考え方を変えることで、今月も継続して学習に取り組んでいきたい。